歴史と娯楽と日常の狭間で

自分がこれまでに蓄えた歴史の知識、楽しかった娯楽、日常の気づき等を淡々と綴るブログです♪

自身の神経質について そして神経質な人へのメッセージ

先日何気なく部屋を整理していたら、大昔に撮った姉の写真が二枚見つかったんです。

それは、姉の鼻のアップとその鼻の毛穴から取れたであろう毛穴汚れのアップという、おそらくは姉の洗顔の様子を写したものでしょう(なんでそんなものを撮ったのか知らないが……)。

 

それを見た僕は……蒼ざめました。

鼻のアップはまだいいとしても、規則正しく並べられた毛穴汚れの群のアップは、この世のものならざる奇怪なものを見た様な不快感が消えませんでした……き、気持悪い!!

 

その後三日間、ずっと胸のむかつきがとれず、食欲も減退(特に飲み物の量が減った。飲み物の中に、あの毛穴汚れが入っている様な気がしれいまうんです……)、夜眠るときに目を瞑ると、あの写真の光景が浮かび、落ち着いて寝付くことも出来ない……。

 

……そう、僕は、神経質なんです……。

 

 

神経質 僕のケース

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僕の神経質は、それはもう物心ついたときからずっとです。

近所の犬が近づいてきたり吠えたりするのにビクビクするのは序の口で、ペットショップで妙な顔の金魚をみては泣き出し、染みがついた写真を見ては気持悪がり、果てはTVゲームであるキャラクターの不規則は動きに気持が悪くなり、ゲームそのものがプレイできなくなるなんて事もありました。

 

この性質、僕は母からの遺伝だと思っていました。

と言うのも、母も相当な神経質だったんです(母はある意味、僕より重症です。映画等で過激なシーンになると顔をそむけたり、ひどいときは失神したりするそうです)。

 

でも母は、僕に関しては違う可能性を考えている様です。

その可能性とは、所謂 “胎教が悪かった” という事らしいです。

 

母がいうには、僕が胎内にいたとき、母はとても大きな不安を抱えていたそうです。

というのも当時、父が事業かなにかに失敗し、まったく働いていない状況だったらしいです(くわしいことは聞いていないので、わかりません)。

そんな父を見て強い不安を感じた母は、「この子(僕)が生まれたら、この人(父)とは、絶対わかれる」と思いながら過ごしていたそうです……。(その後、父とは現在に至るまで、別居中……)

その時に感じていた強い不安が、胎内の僕への悪影響となり、生まれた僕は神経質になってしまった……ということらしいです。

 

この話を聞いた僕は、ただの可能性の話だというのに、すっかり信じ込んでしまったんですねえ(笑) 「僕がこんな風になったのは、全て父のせいだ!」なんて、それこそ自分自身に対して影響のよくないことを、毎日毎日考えながら、腐っていったわけです……。

 

ふっと浮かんだある考え そして神経質な人たちへ……

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ところが、そんな腐った日々を過ごしていた僕 でしたが、ある時を境に自身の神経質について、あまり悩まなくなったんです。

 

と言っても、特別なにかきっかけがあったわけじゃない。本当にある日、ふっとこんな考えが浮かんだんですねえ。

 

「自分がこんな風なのは、もうしょうがない。ありのままを受け入れよう」

 

きっと僕自身、神経質な自分を責め続けることに疲れてしまったんでしょう。突然、悟りを開くかのように、ふっと思い至ったわけです。

 

それからというもの、神経質な自分というものを冷静に受け止められるようになったんですね。なにか気持の悪いものを見て気分が悪くなっても、「これが自分なんだ」と思えば、必要以上に狼狽したり、憤ったりしないわけです。

冒頭お話しした姉の写真の件も、以前だったら一月近く引きずっていたであろう症状も、わずか三日で立ち直ることが出来ました。(それでも三日は引きずりますが 笑)

そういう意味では、自分を責め続けたことも決して無駄ではなかったかなあと思います。

 

そんなわけで、僕が自身と同じ神経質な人たちに何か言えるとすれば、それは、

 

「ありのままを受け入れよう」

 

と言うことですね。きっと神経質な人が色々なことに対して必要以上にムキになってしまうのって、単純に神経質だからってことだけじゃなくて、そんな神経質な自分自身に対しての狼狽や憤りというのも含まれていると思うんですね。(僕がそうでした……)

 

でも、そんな狼狽や憤りを感じたときはちょっと立ち止まって、「これが自分なんだ。ありのままを受け入れよう」と思ってみてほしいんです。 そうすれば、別に神経質でもいいんだ、とほんの少しだけ自分に対してやさしくなれる。

自分にやさしくなれれば、他人の無神経に対してさえ少しだけ寛大になれる。

つまり視野が広がるわけなんです。そういった視野を少しづつ広げていけば、神経質というちっぽけな殻に捕われている自分が馬鹿らしくなってくると思うんです。

 

この “神経質に悩む自分という殻を破る” ということこそ、究極のゴールだと思うんですね。僕もまだまだ神経質な自分に悩んでる部分あるんですねえ。いつか僕も殻を破りたい! 神経質な方々、いっしょに殻を破りましょう!

 

最後に、神経質な僕の好きな映画のジャンルのひとつは、……スプラッター映画……。

二律背反……(笑)

 

それでは失礼します。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。