歴史と娯楽と日常の狭間で

自分がこれまでに蓄えた歴史の知識、楽しかった娯楽、日常の気づき等を淡々と綴るブログです♪

【悠久なる大河】戦国時代(BC403~BC221)

前403年、晋がクーデターにより、三国に分裂したのを境に、時代は秦、楚、斉、燕、趙、魏、韓の七国が凌ぎを削る「戦国時代」へと移っていきます。

 

「戦国時代」……なんて聞くと、なんとなく血生臭く、殺伐とした感じがしますね。

まあ、そんな一面があるのは間違いではないんですが、一方で意外にも、自由で開放的な雰囲気の時代でもあったんですね。

 

 

 

意外とフリーダム!? 戦国時代のライフスタイル

f:id:chijoji:20181022011156p:plain

 

この時代の七つの主要国(戦国七雄)は、いずれも厳しい競争を勝ち抜くため、優秀な人材を求めていたんですね。ですから腕や学問等に覚えのある人々は、大志を抱き、各国へ自らを売り込んだわけです。

そのため社会は、自由で活発な雰囲気がみなぎっていたのです。

 

そしてそんな時代の雰囲気は、様々な思想を唱える思想家の登場を促す土壌となったのです。日本でも有名なあの「性善説」「性悪説」も、この時代の二人の思想家の唱えた説なのです。

そしてそんな思想家たちを、国は手厚く保護し、ときには彼らの思想を政事に応用したりもするわけです。

 

自由だったのは、思想家たちだけではありません。国に仕える政治家や武将といった人たちも、自分をより高く評価してくれる国を探すべく(あるいは自国で政治的に不利な立場にある等の理由により)、自国を見限り別の国に仕える者も、珍しくはありませんでした。その中には、三つもの国を渡り歩いたにも拘らず、その三国いずれの国でも宰相として重く用いられた人もいるほどです。

 

次第に力を付けていく「秦」 そして統一へ…

 

そんな自由で活発な時代の中、力を付けていったのは、意外にも中原の諸国ではなく、西方の辺境国・「秦」でした。

今人気沸騰中(2018年10月現在)の漫画「キングダム」で有名な、あの「秦」です。

 

秦は前4世紀中ごろ、商鞅(しょうおう)という人を登用しました。

この商鞅は、富国強兵を確立するために相当ドラスティックな政治改革を行ったんですね。代表的なことを挙げると、それまで貴族階級の人たちが持っていた政治的特権を剥奪し、能力のあるものに与えるなんてことをしたわけです。

 

そうしたドラスティックな改革は、当然貴族階級の反発を招き、最終的にはこれら貴族階級の人たちの手によって陥れられた商鞅は、無残にも処刑されるのです……。

 

しかし商鞅の死後も、彼の政策路線は秦の中で生き続けて行くのです。そしてそれによって秦の国力は次第に強くなっていき、ついには他の六国を圧倒する強大国へと成長を遂げるのです。

 

そんな秦に対し他の六国は、それぞれが同盟を結び秦に対抗する「合従策」、或いはそれぞれが秦と同盟を結び共存を図る「連衡策」等の対策を講じたものの、最終的には六国は次々に秦の手によって征服されていき、前221年、秦による中国統一がなるのです……。

 

この時代の代表的な人物

 

f:id:chijoji:20181022022916p:plain

呉起(?~前381年?)

「孫子の兵法」と並ぶ兵学のバイブル「呉子の兵法」の著者。

三つの国を渡り歩いたにも拘らず、そのいずれの国でも重く用いられる。

 

f:id:chijoji:20181022023953p:plain

斉の威王(?~前320年)

戦国時代を代表する名君の一人。

斉を秦に次ぐ大国へと押し上げた。

 

f:id:chijoji:20181022024715p:plain

商鞅(しょうおう)(?~前338年)

魏から亡命し、秦に仕えた政治家。

数々のドラスティックな改革により、秦を最強国へと押し上げる土壌を築く。

 

f:id:chijoji:20181022025239p:plain

蘇秦(?~前317年)

各国をめぐり外交を説く「縦横家」。

各国が互いに同盟を結び秦に対抗する「合従策」を説く。

 

 

それでは失礼します。

最後までご覧いただき、ありがとうございます。