歴史と娯楽と日常の狭間で

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【悠久なる大河】秦の時代(BC221~BC206)

さて、今回は長年の分裂状態に終止符を打ち、中国史上初の統一王朝となった「秦」の時代です。

 

ここで「ちょっと待て。秦が初の統一王朝? 以前に夏・殷・周が最古の王朝だって言ったじゃないか。自分で書いといて、もう忘れたのか?」とお思いの方もいるでしょう。

 

実は夏・殷・周の諸王朝は、所謂 “統一王朝” ではないんですね。

これらの諸王朝は、一種の同盟国家郡の盟主的な存在でして、王朝そのものの支配域というものは、非常に限られていたんですね。(↓こちらも参照)

 

 

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そういうわけで、一つの王朝の名のもとに強固な支配体制を布いた、という意味での初の “統一王朝” は「秦」となるわけです。

 

さて、この「秦」の時代というのは、イコール始皇帝の時代と言い換えてもいいでしょう。

 

そう、あの人気漫画「キングダム」政こと始皇帝の時代です……。

 

 

 

若き秦王・政 天下を統一す!

紀元前247年、政は13歳の若さで秦の王位につきました。

そして、これまでの戦国時代の諸王が果たしえなかった、中国統一へと乗り出したのです。

 

政が秦王の座についた頃というのは、もう秦の力というのが圧倒的でして、他の六国は秦に征服されるのを待つばかりという状態でした。

 

その様な状態で、政はまず、次いでを征服。次は自分たちの番だと危機感を抱いたは、一人の刺客を送り、政を暗殺しようとします。

 

その刺客というのが、荊軻(けいか)です。これはもう中国史上でも有名な(一番有名といってもいいかもしれません)刺客です。彼が暗殺に向う際に詠んだ「風蕭々(しょうしょう)として易水寒し。壮士ひとたび去って復た(また)還らず」という詩は、生還を期しがたい暗殺行に臨む荊軻の悲壮な心情を詠った有名な詩です。

 

しかし、暗殺は失敗。哀れ荊軻は政の手によって、逆に切り殺されるのです……。

 

間一髪、刺客の手を逃れた政は、残る魏、楚、燕、斉を征服。

ここに中国は、秦によって統一されるのです。

 

始皇帝、そして中央集権国家・秦の誕生

 

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天下統一を果たした政は、従来の「王」という称号を捨て、王の上に君臨する王という意味を込めた「皇帝」という称号を創りました。

そして自らを、始めの皇帝という意味の「始皇帝」と名のります。

 

始皇帝は、それまで七国にわかれていた国土に対し、36の郡に分けて、その下に県をおく郡県制を布きます。そしてそれぞれの郡や県には、中央から役人を派遣して治めさせました。これにより、中国全土を秦の名の下に直接統治する、中央集権国家の体制が整ったのです。

 

さらに始皇帝は、それまで各地でまちまちだった物の重さ、貨幣、文字等を秦のものに統一することで、上記のような中央集権体制を各地に浸透させようとしました。

 

しかしこうした政策は、従来までの体制に慣れた人々の反感を買うものでした。特に、孔子を祖とする儒教を信じる人たち・儒者の反感はとても強いものでした。

 

こうした儒者に対し、始皇帝は中央集権制に逆らうものへの見せしめとして、実に460人もの儒者を生き埋めにしてみせたのです。これが悪名高き「焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)」です。

 

しかしこの焚書坑儒。後世の儒者たちが始皇帝を貶めるために必要以上に悪宣伝した可能性があるんです。まあ、中国史では珍しくありませんが……。

 

始皇帝の死……

その他に始皇帝は、「万里の長城」の建造、5回に及ぶ地方巡幸、新王宮・阿房宮の建造等、中央集権制の名の下に、様々な政策を実施していきました。

 

特に地方巡幸は、秦による政策が各地できちんと行われているか、始皇帝自身が視察することで、皇帝の威信を示すという重要な意味を持っていました。(後世の王朝の体制を見れば、これは完全に逆効果だと思いますが……。まあ、初の統一王朝ということで、 “皇帝” としての振舞い方がわからなかったということです……)

 

そしてそんな地方巡幸の最中、始皇帝は大病を患います。

死期を覚った始皇帝は、長子・扶蘇を後継者とする遺言を残し、息を引き取ります。紀元前209年のことです……。

 

しかし始皇帝の遺言は、重臣らの手で握りつぶされ、結果的に後継者は、重臣らにとって都合のよい末子・胡亥がたてられることになったのです……。

 

中国史上初の農民反乱「陳勝・呉広の乱」

始皇帝の死によって、これまで秦の政策に不満を持っていた人々は、それを一気に爆発させるのです。

 

紀元前209年、「王侯将相いずくんぞ種あらんや」(王侯や将軍もわれわれ人民と違わない)と叫んだ陳勝呉広という二人の農民を中心に各地の農民たちが一斉に蜂起。秦に対して、反旗を翻すのです。

中国史上初の農民反乱といわれる「陳勝・呉広の乱」です。

 

この反乱をきっかけに、秦によって亡ぼされた六国の遺臣らも、それぞれに王をたて、勝手に国を復活させはじめたのです。

 

こうして中国全土に反乱の火の手が広がる中、秦の朝廷は、醜い権力闘争に明け暮れ、こうした反乱軍に対して、ろくに手を打とうとしませんでした。

 

そうこうしている内に、前206年、反乱軍の一方の雄・劉邦の手によって、首都・咸陽は陥落。統一王朝・秦は、わずか15年で滅亡するのです……。

 

この時代の代表的な人物

 

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始皇帝(前259年~前210年)

中国史上初の統一王朝・秦の初代皇帝。

分裂を続けていた中国に、統一による中央集権制を確立させた。

 

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呂不韋(りょふい)(?~前235年)

秦の商人・政治家。

始皇帝及びその父・荘襄王の後見人。

一説には、始皇帝の実父ともいわれている。

 

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荊軻(けいか)(?~前227年)

戦国時代・燕の刺客。

始皇帝を暗殺しようとするが、失敗、殺される。

 

 

それでは失礼します。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。