歴史と娯楽と日常の狭間で

自分がこれまでに蓄えた歴史の知識、楽しかった娯楽、日常の気づき等を淡々と綴るブログです♪

中学で不登校だった時代を振り返って…… 人生は2、3年で決まりはしない。

「不登校」……いまや引きこもりと並ぶ、社会問題の一つです。

  

かくゆう僕も中学の時、不登校を経験している当事者の一人です……。

 

しかし、だからといって僕は、特別「不登校」というものに関して深く考えたことはありません。ただなんとなくかつての当事者として、不登校の人及びその関係者に対して、なんとなく「こう考えたらいいんじゃないかなあ」と思う程度であります。

 

今回は、そんな僕の不登校の経験と、今不登校になっている方々に対する、僕の考えを綴っていきます。

 

 

不登校 僕のケース

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僕が不登校になってしまったのは、上記の通り中学生の時です。

中学校……6年という長い小学校生活を経て、大きく環境に変化が訪れる時です。僕はこの「大きな環境の変化」について行けなかったんですね……。

 

僕が「環境の変化」というのを意識し始めたのは、同級生たちの態度からです。

小学校時代、僕らは遊ぶことしか考えていませんでした(少なくとも僕はそうでした)。同級生たちと話す話題はいつもゲームや漫画、ドラマ等の「遊び」の話ばかりでした。勉強だの通知表の成績だのは「遊び」を邪魔するやっかいな存在でしかなく、そのようなことをガミガミ言ってくる親や先生にはアッカンベー……それが小学生でした。少なくとも僕や周りの同級生たちはそうでした。

 

ところが、中学にあがった途端、彼らの話題の中心から「遊び」というものは遠ざかり、かつてはあんなに嫌っていた勉強や通知表の内申点等、「学校の成績」というものが、彼らの新たな話題の中心となったのです。

要は学校という組織に順応し始めたんですね。「大人」になったと言い換えてもいいかもしれません。

 

そんな中、僕だけが「子供」のままでした。相も変わらず「遊び」の話題ばかりしていたわけですが、学校という組織に順応し、大人になった彼らに僕は次第に相手にされなくなっていったのです。

 

とても混乱しましたねえ……。ついこの間まで無邪気な「子供」だった彼らが、急に組織に順応する「大人」になったわけですから……。

 

僕は一人取り残された気分でした……。同級生たちが以前とは違い、姿形は同じでもまったくの別人に見えたものです……。

 

気がついたら、僕は学校へ行かなくなっていました。もうこれ以上「大人」になった彼らについて行く事ができませんでした。無邪気な「子供」の世界に戻りたかったのです……。

 

僕を救い続けている母からの言葉

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不登校となった僕はその後、母の薦めで近所の公民館で開かれているフリースクールへと通うことになりました。

 

そこでは僕と同じ境遇の不登校の人たちが大勢いました。

不登校になってしまうだけあって、そういう人たちは皆僕と同じ、「子供」でした。

大好きな「遊び」の話をしても中学の同級生と違い、いっしょに楽しんでくれました。

 

とても嬉しかったですね。無邪気な「子供」の時代に戻れたような気がしました。

 

そのフリースクールで2年ほど過ごした後、僕は定時制高校へと通うことになるのですが、そのときの進路相談の席での母の言葉というのが、今でも……というよりも今だからこそ心に響いているんですね。

 

厳密に言えば進路相談の席上ではなくて、その帰り際ですね。

僕と同じある不登校児の保護者の方から、母はこんなことを言われました。

 

「不登校児の親御さんたちは、子供の将来を憂えてみんな暗澹たる顔をしているのに、どうしてあなたはそんなに堂々としてらっしゃるんですか」

 

すると母は、こう返したんですね。

 

「だって不登校といっても、高だか2、3年じゃないですか。長い人生の内のたった2、3年のつまづきで、この子の人生は決まりはしません。そう考えれば暗澹たる顔をする理由はありません」

 

……当時はなんとなく聞いていただけでしたが、30歳を越えた今、ふとこの言葉が脳裏によみがえってきているんですね。

自分が今、非正規労働者という立場にあって人生を絶望せずに済んでいるのも、中学の時の母のこの言葉のおかげではないかと……。

 

不登校にしろ非正規労働にしろ、その立場に陥った瞬間は非常に大きな挫折だと捉えてしまいがちなんですね。けど視野を大きく広げてみると、どちらも人生という大きな流れのほんの一瞬のつまづきでしかない。

 

もちろん、その一瞬のつまづきで、大きくレールは外れてしまうかもしれない。一般的なレールの上には二度と乗れないかもしれない。それでもなにかのレールの上には絶対に乗ってはいるんです。進んでいるんです。

 

そして、人はそれぞれのレールの上でやれる事、否やりたい事をやればいいと思うんですね。それは単なる自己満足でしかないかもしれない。他人から見れば無駄な事の様に見えるかもしれない。

 

でも、一瞬のつまづきでその先の全てに絶望し、なにもしないで朽ちていくよりは、自分がいまいるレールの上で、たとえ自己満足に終わったとしても何かをやり通した方がはるかに満足のいく人生になると思うんですね。

 

なので現在、不登校や非正規労働あるいはニート等の立場にあって、先の人生に絶望している人たちに対して僕が言える事は、

 

「今あなたが感じている絶望は、あなたの人生の中のほんの一瞬のつまづきにすぎません。そのつまづきは、あるいは二度と取り返しのつかないつまづきかもしれません。けどそれでもあなたは何かのレールの上で人生を歩んでいるんです。 絶望なんていつでも出来ます。その前に何かやれる事、やりたい事を精一杯やってみませんか? 絶望するのは、その後でいいんです。難しい事は考えずに些細な事でいいので、何かやってみましょうよ」

 

という事ですね。

 

それでは、失礼します。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。