歴史と娯楽と日常の狭間で

自分がこれまでに蓄えた歴史の知識、楽しかった娯楽、日常の気づき等を淡々と綴るブログです♪

【悠久なる大河】楚漢戦争の時代(BC206~BC202)

始皇帝の死の翌年(紀元前209年)に起こった「陳勝・呉広の乱」をきっかけに各地で反乱の火の手が上がりました。その反乱軍の中で頭角を現わしたのが、項羽劉邦です。

 

今回は、その項羽(楚)劉邦(漢)の二人が争った、激動の数年間を語ります。

 

 

 

天下分け目の対決! 項羽VS劉邦!!

 

f:id:chijoji:20181101005516p:plainf:id:chijoji:20181101005607p:plain

楚漢戦争初期の勢力図               楚漢戦争最終局面の勢力図

青枠は項羽傘下の勢力

は劉邦傘下の勢力

 

項羽は楚の将軍を代々務めた家の出身。当時亡国の徒だったとはいえ、元々の血筋はエリートだったわけです。そんな項羽は叔父に従って江南で挙兵しましたが、その叔父が戦死したため途中から反乱軍の長になります。

 

一方、劉邦は沛(江蘇省沛県)の農家の出身で、亭長という今でいうところの派出所の駐在さんのような役人をしていました。

 

そんな下級役人である劉邦が、反乱軍の頭目になったきっかけは、始皇帝の墓の建設に従事する作業員を送り届ける任務についたときです。

 

順調に任務を遂行していたある日、なんと! 送り届けるはずの作業員たちの多くが逃亡してしまったのです! 

 

まあ無理もないことなんですね。秦のこの手の建築作業はとても過酷でして、一度行ったが最後、二度と生きて帰ってはこれないことで有名だったんですね。

 

そんなわけで、作業員のほどんどが逃げ出してしまった。このまま任地へ行っても任務を遂行できなかったかどで、処刑されるのは目に見えていました。(秦はその法律の厳しさでも有名でした)

 

二進も三進もいかなくなった劉邦は、自らも任務を放棄。そのまま秦に反旗を翻してしまいました。

 

この劉邦という男、故郷の沛では不思議と人望を集めていた男で、彼が秦に反旗を翻したと知った沛の若者たちは彼を慕って集まり、たちまち大勢力となったのです。

 

さて、そんな項羽と劉邦を中心とした反乱軍は、秦の軍を次々に打ち破っていき、ついに残すは首都・咸陽(かんよう)のみとなりました。そんな時、ひょんなことから項羽と劉邦、二人のうち先に咸陽を陥した方が天下の覇者となる、という運びとなりました。

 

前206年、先に咸陽を陥したのは、劉邦でした。

劉邦は、降伏した秦王(この時もう皇帝の位は棄てていました)を助命、部下には厳しく略奪を禁じたので、たちまち民衆の信頼を得ました。

 

その二ヵ月後、項羽が咸陽に到着。

決着はついていたにも関らず、劉邦が項羽の咸陽入りを拒んだと難癖をつけ(まあ、劉邦も誤解を招くようなことをしていたわけですが……)、鴻門(こうもん)というところで劉邦を宴に招き、その場で暗殺しようとします。しかし、劉邦は配下の機転により逃げ出し(以上の件は「鴻門の会」として有名)、手柄を全て項羽に譲ることで、彼の怒りを静めました。

 

その後まもなく咸陽に入った項羽は、あらゆる面で劉邦と逆の行いをするのです。秦王を殺害、宮殿を焼き払う、部下には略奪させる。そして好き放題やった後、故郷である楚へと引き上げて行ったのです。(彼の参謀は咸陽を出て行っては、天下に号令できないから残れと言ったんですが……)

 

その後、項羽は諸侯を各地の王に分封し、自らは西楚覇王と称し、諸王の頂点に立ちました。しかし、身内のみを尊重する不公平な論功行賞等で諸王の人望を失い、次第に僻地・漢中から力をつけてきた劉邦に圧倒されていき、最終的には垓下(がいか)(安徽省霊壁県)というところで、劉邦軍に包囲されました。

 

そして項羽は、包囲する漢軍(劉邦軍)のなかから楚の唄を聞き、すでに楚が敗れたと思い、自害するのです……。(四面楚歌)

 

この時代の代表的な人物

 

f:id:chijoji:20181101024235p:plain

項羽(前232年~前202年)

秦末期に蜂起した反乱軍の一方の雄。

その圧倒的な武勇と軍才で秦を打倒。西楚覇王と名乗る。

 

f:id:chijoji:20181101025217p:plain

劉邦(前247年~前195年)

秦末期に蜂起した反乱軍の一方の雄。

秦滅亡後、項羽と覇権を争い、これを打倒。

漢王朝を開き、初代皇帝(高祖)となる。

 

f:id:chijoji:20181101030037p:plain

虞姫(ぐき)(?~前202年?)

項羽の寵姫。

項羽が垓下で包囲されたときに詠った

彼女との別れの詩は有名。

「虞美人草」の語源でも有名。

 

f:id:chijoji:20181101030537p:plain

韓信(?~前196年)

漢の劉邦の天下統一を援けた「漢の三傑」の一人。

中国史上屈指の名将。(筆者の独断と偏見による)

「背水の陣」の故事で有名。

 

 

それでは失礼します。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。