歴史と娯楽と日常の狭間で

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【悠久なる大河】前漢の時代(BC202~AD8)

項羽を滅ぼした劉邦は、諸王に推されて帝位につき、高祖となりました。

秦の南側に長安城を築き、都としました。

 

400年の栄華を誇ることになる漢王朝の誕生です。

そう、あの「三国志」の物語中に終焉を迎えることになる、漢王朝です。

 

まあ400年といっても約200年ほど続いた段階で、一度簒奪されています。

そしてその後復興し、200年ほど続きます。

 

この簒奪前の前半200年を、前漢。復興後の200年を、後漢と呼びます。

もっとも、本場中国では前漢のことを西漢(西の長安に都があったため)、後漢のことを東漢(東の洛陽に都があったため)と呼ぶのが一般的だそうです。

 

今回は、その前半の前漢についてです。

 

 

 

草創期の高祖 全盛期の武帝

高祖は、建国に功績のあった7人の武将を王に封じ、各地を治めさせました。

しかし後に、高祖はそのうちの6人を謀反の疑いをかけ失脚させ、身内の劉一族を分封しました。往年の英雄、高祖・劉邦も晩年は猜疑心の虜となり、身内しか信用できなくなっていたのです……。

 

そして前195年、高祖は謀反人・黥布(げいふ)討伐中に受けた矢傷が元で亡くなります。

 

その後、前154年、景帝の代の時、諸侯王の領土を削減しようという動きが起こると、諸侯王は連合し、「呉楚七国の乱」を起こしました。

しかし、この反乱は民衆の支持が得られず、わずか3ヶ月で平定されています。

これによって、諸侯王の権力は弱まり、中央集権化が進んでいくのです。

 

そして前141年、武帝が即位します。彼の54年におよぶ在位期間は、まさに漢王朝の全盛期と呼ぶべきものです。

 

武帝は丞相(現在の総理大臣のような役職)の権力を奪い、皇帝の側近が勅命を履行する体制を確立します。さらに、皇帝は時間をも支配できるという意味を込め、中国史上初の元号を制定しました。

 

こうして皇帝中心の中央集権化は、武帝の時代で完成されるのです。

 

相次ぐ外征で財政悪化! そして滅亡……

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武帝は、長年漢王朝に対して高圧的な姿勢を示してきた匈奴を討伐。さらに南中国・ベトナム北部・朝鮮半島を征服していきます。

 

しかし、こうした相次ぐ外征は、国の財政を悪化させる結果を招きます。

その結果、財政再建のために武帝は、民衆たちに多くの負担を強いることになるのです。

 

このため、武帝は現在においても、漢の最盛期を築いた英雄、財政悪化を招いた暴君と、二つの側面で語られています……。

 

その後、皇帝の権力は徐々に弱まっていき、かわりに権力を増してきたのが、皇后の一族である「外戚」です。その中でもっとも強い権力を持つに至ったのが、王莽(おうもう)です。

 

この王莽が紀元後8年、「新」という王朝を建国。ここに漢王朝は、いったん滅亡します……。

 

この時代の代表的な人物

 

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劉邦(高祖)(前247年~前195年)

漢王朝の初代皇帝。

晩年は猜疑心の虜となり、功臣を次々に粛清した。

 

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武帝(前156年~前87年)

前漢の7代皇帝。本名は劉徹。

数々の中央集権政策と外征により、漢の最盛期を築くが、

晩年は、民衆への負担や、神仙思想への傾注により、

暴君としての側面が目立つようになる。

 

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衛青(?~前106年)

武帝に仕えた武将。

姉が武帝の夫人だったため、採り立てられた。

幼い頃、匈奴の地で育った経験を活かし、

匈奴討伐で活躍する。

前漢を代表する名将。

 

それでは失礼します。

最後までご覧いただき、ありがとうございます。