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【人物パラメーター】周の文王

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 生没年不詳。周王朝の創始者・武王の父です。

 

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文王というのは周王朝成立時の諡(おくりな)で、本名は「姫昌(きしょう)」といいます。生前の役職「西伯」にちなんで、「西伯昌」とも呼ばれます。

 

殷の重臣でしたが、同じ殷の重臣である崇侯虎という者に讒言され、紂王に処刑されそうになります。しかし、姫昌を慕う人々が紂王に美女や名馬、財宝などを献上したため許され、西部の支配者を意味する「西伯」に任命されます。

 

その後、西岐の地で呂尚(太公望)を軍師に招き、その助言に従い善政を布き、また周辺の異民族を討伐する等の行いで周の国力を高めていきましたが、志半ばで病死してしまいます……。

 

そして、その志は、息子の姫発(きはつ)(後の武王)へと受け継がれていくのです……。

 

 

将才

8点

古典小説「封神演義」の影響でなんとなく柔和な人というイメージがありますが、実際は犬戎(けんじゅう)、密須といった北方異民族や、かつて自分を讒言した崇侯虎を討伐する等、なかなかの軍事的手腕を発揮していますね。

戦闘力

6点

この分野に関しては、特に特筆すべき事はありませんね。

知性

9点

 当時、何処の馬の骨とも判らない呂尚を軍師に抜擢しています。呂尚といえば後世中国三大軍師に数えられるほどの名軍師です。(彼のほかに、前漢の張良、蜀漢の諸葛孔明がいます)その呂尚の才能を見抜いたのですから、かなりの洞察力といえましょう。

 

また、彼は易に詳しく、自身も占いの達人でした。(実は呂尚との出会いも、自身の占いの結果によるものだといわれています)現在まで伝わる易の源流を作った人だとも言われています。

政事手腕

9点

彼は呂尚の助言に従い、数々の善政を行いました。彼の善政を示す有名なエピソードを紹介します。

 

虞と芮(ぜい)のふたつの国の間に紛争が起こりましたが、いっこうに解決しません。そこで両国の君主は西伯昌に調停を頼もうと西岐へとやってきました。

ところが西岐へ入ってみると、農民たちはあぜ道を譲り合い、老人たちを敬っています。その光景を見て、両国の君主は言いました。

「我々の争いなど、この国では物笑いの種にしかならない。これでは恥をかきに来たようなものではないか」

そして彼らは、互いに譲歩して和解したそうです……。

人望

9点

敬老の精神を持ち、幼少の者を慈しみ、賢者を敬い、さらには食事をとる暇を惜しんでまで人と会うといわれた彼の人徳を示すエピソードは枚挙に暇がありません。

あの悪名高き刑罰「炮烙(ほうらく)の刑」を、自らの領土を差し出して、やめさせたエピソードがもっとも有名です。

かの有名な孔子も「天下の三分の二を有しながら、殷の臣下として仕えていた」と評し、彼の徳を称賛したほどです。

 

 

それでは失礼します。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。