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【人物パラメーター】周の武王

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生没年不詳。文王の子にして、周王朝の創始者です。

 

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武王というのは周王朝設立時の諡(おくりな)で、本名は「姫発」といいます。

呂尚(太公望)を軍師、弟の周公旦を補佐役に、父・西伯昌(文王)の政治を引き継ぎました。

 

当時、民を悩ませていた殷の紂王の暴政に対し、姫発は兵を率いて殷討伐に赴きました。しかしこの時は、盟津(もうしん)という場所まで来たときに「天命は殷から去っていない」と言って、あっさりと兵を引いてしましました。

 

それから二年後、再び挙兵します。300の兵車、2000の勇士、4万5000の兵を率いて殷討伐へと赴いたのです。これに対し、殷の紂王は70万の大軍をもって牧野という地で迎え撃ちましたが、紂王に対して忠誠を誓う兵は一人も居らず、みな武器を逆さまに持ち、姫発のために道を開きました。そこを駆け抜け殷軍を壊滅させた姫発は、紂王を自殺に追い込み、殷王朝を滅亡させます。

 

こうして周王朝を築き、武王を名乗った姫発は治世を続けて、その後病でこの世を去りました……。

 

 

将才

8点

史上有名な「牧野の戦い」は、ほとんど殷軍の自滅に近かったので、この戦いの勝利をもってして彼の将才を計ることは出来ないかもしれませんが、どんなかたちであれ70万の大軍を破るにはそれなりの将才がなければ不可能だと思うので、8点としておきます。

戦闘力

8点

彼の個人的武勇の記述は無いので、いまいち判断出来ないところですが、天下分け目の決戦の先頭に立つ程の人なので、それなりに武術・腕力には秀でていたと思われます。

知性

8点

盟津の地で諸侯と会盟した時、「天命は殷から去っていない」と言って、一度兵を引いています。その理由については、諸侯の士気を盛り上げようとした、諸侯の力を借りてあまりに早く殷を滅ぼしてしまうことで諸侯が力を持つことを恐れた等、色々言われていますが、いずれにしても彼なりの思惑があったことは確かなようです。

軍師・呂尚の助言もあったとはいえ、それなりの計算高さが窺えます。

政治手腕

8点

彼は父・西伯昌の意志を継ぎ、呂尚や周公旦の補佐を得てよく善政を布きました。

しかし周王朝成立後まもなく病死したため、目立った業績は戦後処理と都の建設くらいで、周王朝を実質的に盛り立てるのは、弟の周公旦の業績となります。

人望

9点

盟津の会盟の時、事前に打ち合わせをしたわけでもないのに、実に800人もの諸侯が彼の前に集まったそうです。紂王の不人気や父の遺徳等の要因があったにせよ、彼自身にも人望が無ければこれだけの人は集まらないでしょう。

さらに集まった諸侯の前で大々的に演説を行うことで、彼らの心を自分に牽き付けさせることも忘れませんでした。

 

 

それでは失礼します。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。