歴史と娯楽と日常の狭間で

自分がこれまでに蓄えた歴史の知識、楽しかった娯楽、日常の気づき等を淡々と綴るブログです♪

【人物パラメーター】斉の桓公

f:id:chijoji:20181020190835p:plain

?~前643年。春秋時代、斉の16代君主にして中国初の覇者。本名は「小白」。

 

www.chijoji.com

 

異母兄である糾(きゅう)という人物との斉の君主の座を賭けた争いに勝利し、「斉の桓公」として即位しました。桓公は軍勢を整えて糾とその支援国である魯の国(糾の母が魯の出身だったため)を討伐。その際に、重臣・鮑叔牙(ほうしゅくが)の薦めにより、糾の後見人であった管仲を宰相として登用します。

 

管仲が布いた政治改革と富国強兵策により、斉は一大強国へとのし上がり、即位7年後、諸侯と葵丘(さきゅう)(河南省)という地で、会盟。中国初の覇者となるのです。

 

将才

7点

ライバル・糾の支援国である魯との数度に渡る戦に勝利し、さらに異民族・山戎(さんじゅう)を討伐する等、数々の軍事的功績を立てています。その功績もまた、彼を覇者へと押し上げた一因でしょう。

戦闘力

7点

桓公は君主の座につく前から英才を謳われていました。おそらく武芸に関してもそれなりの腕前だったでしょう。

知性

8点

小白(桓公の本名)とライバル・糾は斉の内紛に巻き込まれ、一時的に国外へと亡命していました。その後、内紛の首謀者たちが立て続けに死亡。空席となった君主の座は小白と糾、二人の内先に亡命国から帰国したものがつくことになりました。

 

当時糾の後見人だった管仲は、小白への妨害工作が命じられました。斉へ向かう小白が小道にさしかかったところへ、待ち伏せていた管仲が矢を放ち、小白を射止めました。小白の死に安心した糾の一行は、のんびりと斉に向かいました。

 

ところが小白は生きていました。彼を狙った矢は、帯の留め金に当たっていたのです。しかし小白は死んだふりをして、霊柩車まで用意しました。こうして糾を欺いた小白は、先んじて斉へ入国、君主の座についたのです。

 

このように彼は用心深く、詐術に長けていたのです。

しかし、そんな彼の知性も、晩年には翳りを見せ始めます……。

 

管仲が死の間際、「彼らだけは重用しないように」と忠告した3人の奸臣たちを登用し、斉を大混乱に陥れてしまうのです。結果、彼らの暗躍により引き起こされた後継者争いによって桓公は死後、納棺もされず65日も放置され、発見されたときはウジが湧いていたという壮絶な最後を最後を遂げるのです……。

政治手腕

8点

彼の行った政策のほとんどは管仲の進言によるものです。ですが彼を登用し、その進言を的確に採用していった彼もまた、一流の政治センスの持ち主といえるでしょう。

人望

8点

覇者となって16年後のことです。

燕という国の要請を受けて、桓公は異民族の山戎を討伐しました。感謝した燕の国王は、桓公が帰国する際、斉の国境まで見送りました。

 

ところが、燕の国王はうっかり国境を越えて、斉の領内に入ってしまいました。王が国境を越えて見送るのは、天子に対する礼です。諸侯同士の場合、自国の国境線まで見送るのが礼儀です。燕の国王は、桓公に対して礼儀を欠いたことになります。これは国のメンツに関わる重大な失態です。

 

そこで桓公は、自分が立っているところと燕の国王との間に溝を掘らせ、そこを新たな国境としたのです。

 

この自国の領土を割いてまで他国のメンツを保たせた桓公の行いを聞いた諸侯は、桓公に心服したそうです。

 

その一方で、困った一面もあります。

 

後継者争いに勝利し、魯の国の支援を得たライバル・糾の軍勢を破ったときのことです。当時糾の後見人だった管仲に暗殺されかかったことのある桓公は、彼を煮殺そうと考えていたそうです。

 

重臣・鮑叔牙の進言で何とか思いとどまったものの、一時的な感情で危うく将来のNo.2を失うところでした……。

 

さらに、覇者となった後のことです。自分の業績に自信を持った桓公は、「封禅の儀を行いたい」と言い出しました。封禅の儀とは、本当に天下を統一し、泰平をもたらした聖天子だけに許された儀式です。覇者程度に許されるものではありません。管仲の制止により、危うく悪名を残さずにすみましたが、少し倫理観に欠ける発言だったように思われます。

 

 

それでは失礼します。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。