歴史と娯楽と日常の狭間で

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【人物パラメーター】管仲

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 ?~前645年。仲は字(あざな)です。本名は夷吾といいます。春秋時代、斉の政治家です。

 

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斉の公子・糾という人物の後見人として仕えていましたが、その糾がライバルの公子である小白(後の桓公)に破れ、殺されました。そのとき、以前小白を暗殺しようとしたことのある管仲は、糾とともに殺されるはずでした。しかし、小白に仕えていた親友の鮑叔牙が小白を熱心に説得したため、許されて斉の宰相となりました。

 

宰相となった管仲はその天才的政治手腕で、桓公を覇者へと導いたのですが、そんな彼も鮑叔牙の計らいなくして世に出ることはなかったのです。ふたりの変わらぬ友情は「管鮑の交わり」の故事として、今も語り継がれています……。

 

将才

8点

政治家のイメージが強い管仲ですが、燕の国に異民族の山戎が攻め込んだときに、桓公とともにその救援に駆けつける等、軍事にもそれなりの手腕を発揮しています。

かの有名な孫子も、孫子の兵法を著すときに彼の用兵を参考にしたといわれています。

戦闘力

6点

糾に仕えていたとき、管仲は弓で小白(後の桓公)を暗殺しようとしたことがあります。

このことから、弓術に優れていたといわれていますが、資料によっては特に言及されていないものもあります。

知性

9点

彼は数々の善政を布きましたが、それも始めから順調だったわけではありませんでした。新参者から宰相に抜擢されたという経緯から、古参の重臣たちからの妬みや妨害が並大抵のものではなかったのです。そこで管仲は、桓公から卿(けい)の身分と、国税1年分の財産、さらに「仲父(ちゅうほ)」の称号を得ることによって、スムーズに政務を執行する立場を得ました。

 

さらに斉が魯の国と戦い勝利し、その領土の割譲を受けたときのことです。

講和の席上、魯の将軍・曹沫(そうばつ)が桓公に匕首を突きつけ領土の返還を迫りました。やむなく了承した桓公でしたが、曹沫を殺して約束を反古にしようと考えました。そこで管仲はこう諭しました。

「どのようなものでも約束は約束。曹沫を殺害するなどという信義にもとる行為をすれば、斉は天下の信を失います」

この言を容れた桓公は諸侯からの評判を高め、2年後に甄(けん)という地で会盟し、覇者となりました。これによって斉は隆盛を極めるのです……。

 

以上のことから、管仲は人心を読む術に非常に長けていたことが窺われます。

政治手腕

10点

管仲はこんな言葉を遺しています。

「倉廩(そうりん)実ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る」

(飢えている者に礼儀を説いて何になりましょう。生活にゆとりができれば道徳意識はおのずと高まります)

彼はこの言葉の下、次のような政策を進めました。

1.農業の保護奨励

2.塩、鉄、金などの生産と管理

3.公平な税制と兵役

4.物価の安定と物資の安定流通

これらの実施により、小国だった斉は、強大国へと成長していくのです。

 

彼の政治思想は、「管子」という書物にまとめられ、今でも法家の祖として伝えられています。

人望

8点

鮑叔牙が桓公に管仲を用いるよう進言したとき、管仲に暗殺されかかったことのある桓公は、管仲に纏わる悪い噂を挙げて用いようとしませんでした。鮑叔牙は、その噂一つ一つに対して熱心に弁護をし、ついには桓公の説得に成功し、管仲は宰相として用いられることになりました。

 

後にこのことを知った管仲はこう言ったそうです。

「われを生めるのは父母なるも、われを知る者は鮑子(鮑叔牙)なり」と……。

 

 

それでは失礼します。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。