歴史と娯楽と日常の狭間で

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伍子胥(ごししょ) 激情の炎に導かれし、波乱の生涯 Part 1

強い信念や情念を持った人間をどう思うだろうか?

そのような人間は、一般的には素晴しい人間だと評価される傾向にある。しかし、僕はそのような人間に対して、素晴しいと思う反面、ある種の恐怖を感じるときがある。

 

今回は、そんな信念や情念に生きた一人の男について綴ろうと思う……。

 

 

伍子胥、楚への復讐を誓う

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中国・春秋時代(紀元前770年~紀元前403年)、楚(湖北省、湖南省)という国に、伍子胥(姓は伍、名は員〈うん〉、字は子胥)という男がいた。

 

伍家は代々楚の重臣を務める名門で、彼の父・伍奢も楚の平王に仕え、伍子胥も兄・伍尚と共におそらくは、父を支え、平和に暮らしていた。(“おそらくは”というのは、伍子胥と伍尚が、平王に仕えていたという、はっきりした記述がないため)

 

そんなある日、伍家に一団の兵馬に守られた一人の使者が現れた。その使者が言うには、

 

「お前たちの父・伍奢は、王に対し無礼を働いたため、死罪と決まった。しかし、お前たち二人が出頭し、父の助命を請うならば、許してやろう」

 

二人は驚倒した。信じられない事だ…。あの忠勤を謳われた父が、王に対し無礼を働くなど! 大いなる疑惑が、二人の胸中に渦巻いた……。

 

しかし、生れつき情愛にもろい伍尚は、疑惑を抱きつつも、それに応じようとしたが、伍子胥はそんな兄を制し、烈火のごとく眦を裂きつつ、決然と言い放った。

 

「我等を召し寄せるのは、父を生かすためではありません! おそらく、父の死を知った我等の反逆を恐れ、おびき寄せて父共々、殺すつもりに違いありません! どのみち殺されるのなら、国外に逃亡し父の仇を討つほうが、親孝行になるというものです!」

 

ところが、伍尚はその穏やかな姿勢を崩さずに、こう返した…。

 

「行ったところで、所詮父は助からないことは、私にも分かっている。しかし、亡命して最後まで怨みを晴らせなかったら、なんとする。それこそ父を見捨てた親不孝者と天下の物笑いだ。子胥よ……そなたは亡命せよ! そして、父の仇を討つがいい。わたしは、死を甘んじて受けよう……」

 

そしてそう言うなり使者の前へ出て行き、整然とした面持ちで、縛に付いた。

続けて使者は、伍子胥を捕らえようとしたが、こちらは兄とは対照的に弓を持って立ち向かい、使者がたじろぐ間に猿(ましら)の如く逃げ出した。そして、そのまま逃亡の途へと就いたのだった……。

 

そしてその途上、父と兄が刑場の露と消えたことを知った……。

と同時に、父が処刑の命が下されるに至った、その顛末を知るのだった……。

 

……楚の平王は、太子(皇太子)の妻として、大国・秦の公女を迎えた。しかし、その公女が余りにも美しかったため、王は奸臣・費無忌(ひむき)の薦めもあり、公女を自分のものとしてしまった。

 

だがその件で太子の恨みを買うことを恐れた費無忌は、王に太子が謀反を企てていると讒言した。そしてそれを信じた王は、太子とその教育係であった伍奢に、処刑の命を下したのであった……。(太子は国外逃亡を図ったが、後に殺される)

 

……真相を知った伍子胥の全身を激情の炎が、駆け巡った!

 

「一国の王たるものが一事の情欲に溺れ、忠臣を害するとは!

我誓う! 必ずや無道なる平王を討ち取り、父兄の汚名を雪ぐと!」

 

燃え滾る瞳を楚都へ向け、そう誓うと旅路を急いだ。

いつ果てるともしれない、復讐の旅路へ……。

 

伍子胥を扱った作品