歴史と娯楽と日常の狭間で

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伍子胥(ごししょ) 激情の炎に導かれし、波乱の生涯 Part 2

随分間が空いてしまって、申しわけございませんでした。

伍子胥(ごししょ)の生涯について綴っていこうと思います……。

前回の記事はこちら↓

 

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伍子胥、異国の地にて激情の炎を滾らす!

 

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己の父兄を無実の罪で殺害した楚(湖北省、湖南省)の平王への復讐を誓った伍子胥は、一路呉(蘇州周辺)を目指し、苦難の旅を続けていた……。

 

ある時は物乞いをし、またある時は草の根をかじり、果ては飢えがもとで病を得、死線をさまよったことも……。しかし、それでも伍子胥は歩みを止めなかった。暴虐なる平王への復讐の念が、彼を前へ前へと突き動かす。いかなる艱難辛苦も、彼の激情の炎を吹き消すことは不可能であった。

 

そしてその苦難の旅路の果て、ついに伍子胥は呉の都へと辿り着くのであった。だが何処の馬の骨とも分からない伍子胥を呉の王が重用するとも思えない……。

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そこで伍子胥は、王族の中でも極めて立場の弱かった公子光(こう)に接近。その信頼を得た後、あらゆる手練手管を駆使し、光を王位に就けることに成功する。

呉王・闔廬(こうりょ)の誕生である……。

 

闔廬の即位と同時に、その重臣の地位を得た伍子胥は、呉を楚に対抗出来る国にするため、国力の充実に力を注いだ。

 

だが、その矢先、伍子胥の生涯を根底から覆す出来事が彼の元へもたらされる。……楚の平王が死去したのだ……。平王への復讐を誓い、その一念のみを糧に生きてきた伍子胥の無念いかばかりであったろう……。

 

しかし、常人ならば途方もない虚脱感に襲われ、人生の意義を見失ってもおかしくないこの状況においても、伍子胥の激情の炎は、その輝きを失うことはなかった。否、より一層激しく燃え盛ったのである!

 

「平王が死んでも、まだ楚が残っている…。わが息ある限り、楚をとり潰さずにはおかぬ!!」

 

死者に鞭打つ!……それは「日暮れて途遠い」がゆえ……

 呉王・闔廬即位から9年後、楚は属国である唐と蔡を呉の調略によって失い、その国力を著しく弱体化させていた。……いよいよ復讐の時来る!

 

伍子胥率いる呉の大軍は、勇躍楚へ侵攻。激闘の末、ついに楚の都を陥落させたのだった。伍子胥が父と兄を殺されてから16年目のことである……。

 

しかし、伍子胥の復讐は、まだ終わってはいなかった。激しき復讐の炎をその身に宿した伍子胥は、一路平王の遺体が納められている墓へと向かった。そして、その墓を暴き、屍を引きずり出したのだ!

 

平王の屍の前に立つ伍子胥…。長い16年間であった。死線を彷徨うが如き苦難の旅、見知らぬ異国での生活……それも全ては、この時のため…。

 

伍子胥は、手にした鞭(べん。中国で古代より使われていた鈍器の一種)を振り上げ、平王の遺体に打ち付けた! 16年間滾らせ続けた激情の炎を、この一瞬で爆発させるかの様に二回、三回、四回と平王の遺体を打ち続ける!……その回数、実に300回に及んだ……。

 

伍子胥のかつての友人・申包胥は、伍子胥の所業を人づてに批判したが、伍子胥はこう答えている。

 

「申包胥に伝えてほしい。私の思いを遂げるのには、日暮れて途遠しと」

 

日が暮れるように自分の老い先はもう短い。だから、いかに道理に背いたことであっても、やれるうちにやっておかねばならない……ということである。復讐に人生をかけた男の、あまりにも苛烈な報復劇だった……。

 

現代においても使われている、死者の言行を非難する「死者に鞭打つ」という言葉は、上記の伍子胥の苛烈な行動から生まれたものである……。

 

炎の如き復讐を終えた伍子胥、その人生の終幕はいかがあいなるか。続きは次回へ……。

 

伍子胥を扱った作品