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伍子胥(ごししょ) 激情の炎に導かれし、波乱の生涯 Part 3(完)

苛烈極まる執念で復讐を果たした伍子胥。その炎の如き生涯は、最後の輝きを放ちながら、ますます燃え滾る!

 

伍子胥、復讐の軌跡↓

 

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激情の炎、その最後の灯火……

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楚との戦争の後、呉は隣国・越(浙江省)の国王死去による国内の混乱に乗じ、その領土へ侵攻を開始する。「呉越同舟」「臥薪嘗胆」等、有名な故事を遺した、「呉越戦争」の始まりである…。

 

しかし、その緒戦において、呉は越に大敗。呉王・闔廬(こうりょ)は、その戦傷が元で死去。呉王の位は、息子の夫差が継いだ。呉王・夫差(ふさ)の誕生である…

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伍子胥は、この夫差に対しても先代同様に仕えたのだ。

夫差は伍子胥の助力を得て、国力の増強に努めた。そしてその間、越への怨みを忘れぬため、寝床に薪を敷きその上で寝ることで、己の身体を痛めつけた。これが有名な「臥薪嘗胆」「臥薪」である……。

 

そして2年後、ついに夫差は越を破り、父の復讐を果たしたのだ。しかし、降伏して命乞いをする越王・句践(こうせん)を夫差は助命しようとする。これに対し伍子胥はこう諫言する。

 

「越王の人となりは、よく辛苦に耐えることであります。いまのうちに滅ぼさなければ、後日必ず後悔いたされましょう!」

 

……16年間も復讐を念じ続け、ついにはそれを果たした伍子胥には判っていた。逆境に立たされた者のみが持ちえる、不撓不屈の精神を…。事実、夫差は逆境をバネにした結果、こうして越を降したではないか……。

 

 しかし夫差は、この諫言を退け、句践を助命してしまう。夫差としては敗北の汚名を雪ぎ、越に対し呉の勢威を見せ付ければ、充分だったのである。結局のところ夫差の精神の源は、己の「メンツ」なのである。それが、天性の激情家である伍子胥との決定的な違いであった。

 

それからというもの、夫差は伍子胥を疎んじるようになり始める。恰も、激しい炎から人が遠ざかるかのように……。そんな中、二人の仲を裂く、決定的な出来事が起こる。

 

日に日に慢心していく夫差の姿から、呉の将来を危ぶんだ伍子胥はある日、斉(山東省)の国に使者として派遣されたとき万一の際に備え、息子を斉へ残してきたのだ。これを知った夫差は、伍子胥が斉へ通じていると疑い、ついに伍子胥に自害を命じたのだ。 

 

伍子胥は夫差を言葉の限り罵った後、その激情に最後の火を灯したのだ。

 

「わが墓の側に、梓(棺の材料になる樹)を植えよ。それで呉王の棺がつくれるように。また、わが眼をえぐって、呉の東門にかけよ。越が侵入して、呉を滅ぼすのが見られるように」

 

……そして、自害して果てた……。

 

伍子胥は、その激情の炎によって復讐を成し遂げることが出来た。だが、その激しすぎる炎は、己の身をも焼き尽くしてしまったのだ……。

 

後年、伍子胥の予言通り、呉は越の侵攻を受け滅亡する。そして捕らえられた夫差は、越王・句践によって死を賜ることとなる……。

 

キジョジ曰く……

伍子胥は、最後まで父兄の無念を忘れず、ついには復讐を果たした信念の人と評されている。しかし、本当にそうだったのか?

 

人間というものは、同じ感情を同じ熱量で保って生きることは不可能だと思う。おそらくは復讐という激情を滾らせる内に、「激情を滾らせる」ことそのものが目的化し、「激情を滾らせる」対象を常に捜し求めていたのではないかと思うのだ。

 

そう考えれば、常軌を逸したかのような数々の言行も納得がいく。そして当然そのような人間は、常人には忌避される。夫差が伍子胥の進言を採り上げなかったのは、その狂気ともいうべき激情を怖れたのかもしれない……。

 

伍子胥は、乱世という異常な世が生んだ、哀しい存在なのかもしれない……。

 

伍子胥を扱った作品