歴史と娯楽と日常の狭間で

自分がこれまでに蓄えた歴史の知識、楽しかった娯楽、日常の気づき等を淡々と綴るブログです♪

客観的な男……それは神の視点を持つ者か、或いは他者と視点を共有出来ない臆病者?【派遣で出会った人々】

「客観性」……人が生きていく上で、とても大切な性質だ。人はこの性質を備えているがゆえに、自分を俯瞰し、そして自省出来る。

 

客観性を欠き、主観性のみを肥大化させた人間は、視野が狭くなり己の価値観のみを是とするため、決して己を省みない。……それでは己の欲求を満たすためのみに生きる野生動物となんら変わりが無い。

 

だが……。

 

 

博学多識な男のたった一つ知らないこと……

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それは、僕がパチンコの製造の仕事をしていたときのことだ。ひょんなことから、ある人物と仕事をすることになった。(派遣社員同士の出会いは、大抵ひょんなことだが 笑)

 

ボサボサの頭髪、少々小太りな体型、常に張り付かせている茫洋とした表情……一見して冴えない風貌である。

 

しかし、侮りがたしというべきか、そのような風貌に反して彼は実に博学だったのである。政治、経済、文化……果ては過去の流行にいたるまで、おおよそ彼に聞いて答えが返ってこないことはない。それもそのはず、彼はとある有名大学(学校名は失念してしまった…)卒であったのだ。

 

その学歴に裏打ちされた知識で、自然彼は職場の知恵袋的存在としての地位を確立させていった。僕も彼から様々な知識を教えられたものである。(といっても、雑学の類だったので、今となってはそのほとんどの内容を忘れてしまったが…)

 

あらゆる分野に精通している彼。しかし、彼にはたった一つ欠けているものがあると、僕は思う。以下のやり取りを紹介する……。

 

ある日、彼はある人の愚痴を聞いていた……。

 

相談者「昨日ある会社の面接を受けにいったんだが、担当者が横柄で腹が立ったよ!」

彼「うん、それは君がその会社の採用の規準からは、大きく外れていたんだろうね。会社……というか人ってのはさ、自分の期待が裏切られると腹が立つ。腹が立つと何かに八つ当たりしたくなる。つまり君に八つ当たりするしかなかったわけだ。まあ、仕方がないね…」

 

……別の日、彼はまた別の人の相談に乗っていた……。

 

相談者「Aさんが僕にいじわるをするんだ。どうしてだ…。僕Aさんの気に障るようなことは何もしてないのに……」

彼「Aさんは元々君の先輩のBさんの補佐役だったよね。でも今やBさんのお気に入りは君だ。Aさんとしては、当然おもしろくない。けど大好きなBさんを悪く言うことは出来ない。そこで君を標的にしているわけだ。ほら、ドラマとかでよくあるだろ、夫に浮気された妻がその愛人を怨むってやつ、あのパターンさ。まあ、人間心理の為せる業だからどうしようもないね…」

 

……またあるときは……。

 

相談者「Cの奴、今日も俺のことをおちょくりやがって! あいつ俺のことをおもちゃか何かだと思ってるんじゃないか!? 腹が立つ! 何か思い知らせてやりたいよ! どうしたらいい!?」

彼「“おもちゃか何か”って言ってるけど、そう言う君はCさんをどうおもってるのかな?」

相談者「はっ!? “どう”って……つまらないおちょくりばかりして面白がってる小学生レベルの子供だよ!」

彼「……じゃあ敬意は払っていないってことだね。おそらくCさんも君には敬意を払っていないね。子供に敬意は払わないし、おもちゃに敬意は払わないし…。まあ、互いに敬意を払わないもの同士、おあいこだね……」

 

……もうお判りだろう。彼に欠落しているもの、それは「他者への共感」である……。

 

客観性が齎す孤独……

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他者に対して共感を示すことは、ある意味ではとてもストレスの溜まるものだ。良きにつけ悪しきにつけ他人の感情(“気”と言い換えてもいいだろう)を貰ってしまうため、人によってはとてつもない疲労感に襲われるだろう。避けられるものなら避けた方が精神衛生上、絶対に楽であろう。

 

しかし、それでも人は他者に対して共感を示そうとしてしまう…。なぜか?

それは他者に共感することで他者を理解し、その価値観を共有することによって「繋がり」が生まれるからだ。価値観を共有出来る「繋がり」を持つことで人は自分の価値観、もっと云えば自分の存在そのものが承認されていると感じられる。そこから得られる幸福感たるや、言葉では言い表せないものがある……。その幸福感を得たいがため、人は他者への共感などという七面倒くさいことをするのである……。

 

上記の彼は、おそらく共感によって生じる「幸福感」より「疲労感」の方が、比重が重いのだろう。だから常に客観性を保ち続け、必要以上の共感を他者へ示さないのだと思う。

 

「客観性」というものは確かに重要だ。だが、それも行き過ぎれば他者の感情を理解出来ない無味乾燥な人格となってしまう。確かにそれはある意味ではとても楽な生き方ではあるのかもしれない。しかし、同時にそれはとても孤独且つ臆病な生き方だと思う……。

 

最後に彼のこんな言葉を記して終わろうと思う……。

 

「俺、思うんだよね。真の平等って、他人に無関心になるってことだと思うんだよね。例えばここに二人の人間が対立してて、その二人に対して誰かが“俺はどちらの味方でもない。俺は中立だ”って己の主観を述べたとしよう。けど俺はそんな主観性を示している時点でそれはもう二人の内どちらかに寄ってると思うんだよね。ところが二人の対立にまったく関心を持っていない人っていうのは、関心ないがゆえに二人のどちらに対してもまったく同じ態度で接するんだよね。これって、究極の平等だと思わない……?」

 

 

今回はこれで失礼します。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。