歴史と娯楽と日常の狭間で

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范蠡(はんれい) その流水の如き、華麗なる生涯 Part 2

范蠡は、奇策を用いて呉の大軍を撃破。越にその名を轟かせた。

そして以後、越王句践(こうせん)の軍師として、その辣腕を揮うこととなる……。

(詳しくは前回参照↓)

 

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敗北……そして忍従の日々へ……

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檇李(すいり)の戦いで敗北した呉は、新国王・夫差(ふさ)の下、国力の充実と兵力の増強に専念していた……。

 

 

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それを知った越王句践は、機先を制すべく呉に攻撃を仕掛けようとした。

 

 

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だが、それに対し范蠡は異を唱えた。

 

「兵は凶器、戦は悪逆、争いは事の末といいます。好んで凶器を使い、身を事の末に用いるのは、天帝の禁じるところであって、先に犯したほうが不利です」

 

だが、檇李での勝利で意気揚がる句践は、この諫言を退け出兵。結果、大敗を喫してしまう……。句践は会稽山(かいけいざん、浙江省紹興市)において屈辱的な和議を結ばされるものの、命だけは許され越へと帰国する……。(詳しい顛末は、こちらを参照↓)

 

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 敗北の屈辱に打ち震える句践……。しかし范蠡はそんな句践に対し、驚愕の進言をする。

 

「呉王に対し、徹底的に恭順の意を示しなさい」

 

句践は我が耳を疑った。范蠡にはもはや呉を打倒する意思はないのか?……否、このとき范蠡の水の如き冷静なる頭脳は、呉滅亡のビジョンをはっきりと描き出していたのだ。

 

范蠡 呉滅亡のシナリオ……

 句践にとって屈辱の日々が始まった……。

 

呉王夫差に対し、媚びへつらい恭順のポーズを見せるだけでなく、自ら畑を耕し、質素な生活を心がけ、人民と労苦をともにした。そして屈辱を忘れぬよう、毎晩部屋に吊るした苦い干し肝を嘗めて復讐の思いを焦がした。これが「臥薪嘗胆」「嘗胆」である。

 

一方范蠡は、そんな句践と労苦を共にしつつ、ある女性を呉へ送り込む。

 

 

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その女性とは、中国四大美女の一人に数えられる西施(せいし)である。范蠡はこの絶世の美女を呉王夫差の元へ送り込むことで夫差の英気を挫き、その間句践と共に国力の充実に専念し、復讐の機会を待った……。

 

……そのような忍従の日々を過ごすこと20余年。その間に呉王夫差は、すっかり驕慢になってしまっていた。

 

 

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まず、何かと諫言をしてくる名臣・伍子胥(ごししょ)に死を賜り、自分に対し媚びへつらう臣下のみを重んじるようになる。さらには恭順を示す越はもはや敵ではないと判断し、その兵力を北方へと向け始める……。

 

機は熟した! 范蠡が待っていたのは、まさにこのときだったのだ。北方に兵を向ければ、呉の南方に位置する越はその背後を突くことが出来る。さらには上記の策略の数々が功を奏しすっかり驕りきっている呉に対し、20余年間忍従のときを過ごし復讐の牙を研ぎ続けてきた越 ……。将兵の士気の点においても雲泥の差であった。

 

満を持して進軍した越軍は、怒涛の如く呉の都を蹂躙。夫差は慌てて軍を返すものの、もはや劣勢は挽回し難く、和議を申し入れるほかに道はなかった……。一度はそれを受け入れた句践であったが、4年後、再び呉へ侵攻、昔日の勢いを失っていた呉はあっけなく敗退。夫差はわずかな供と姑蘇山という地に落ち延び、そこで伍子胥の進言に従わなかった己の不明を恥じ、自害して果てるのだった……。

 

……こうして呉越戦争は、呉の滅亡という形で幕を閉じた……。これ全て范蠡の思い描いた筋書き通りであった……。

 

さて、句践に復讐を果たさせ、その信頼は揺るぎのないものとなった范蠡。彼の生涯がその後いかなる道へ流れていくのか? それは次回のお楽しみ。

 

范蠡を扱った作品