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范蠡(はんれい) その流水の如き、華麗なる生涯 Part 3 (完)

天才的知略で越王句践(こうせん)に復讐を成し遂げさせることに成功した范蠡。彼のその後の生涯は如何なる流れを見せるのか?

(前回までの流れ↓)

 

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越の黄昏……

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呉(蘇州周辺)を滅亡させた後、越王句践は兵を率いて北上、中原(黄河中下流域)の諸侯と会盟し、時の王朝である周に覇者であることを認めさせた。これによって句践は、天下の第一人者となったのだ。

 

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覇者句践誕生の陰の立役者・范蠡は、その功績から人臣の最高位である上将軍の称号を得た。

 

位人臣を極め、我が世の春を謳歌するかにみえた范蠡。だが、ここで彼は驚くべき決断をするのだ。……なんと! 栄耀栄華を約束された地位を捨て、野に下る道を選んだのだ!……なぜ?

 

越を去る直前、范蠡は友人である文種(ぶんしょう)に対し、このような書簡を送ったという……。

 

“飛鳥尽きて良弓蔵われ、狡兎死して走狗烹らる”(鳥が居なくなれば良い弓はしまわれ、兎がいなくなれば猟犬は煮られて食べられる……つまり、用がなくなればどんな有為な人間も捨てられるという意味)といいます。越王は首が長く口は烏のように尖っています。このような人物は、ともに苦労をすることができても、楽しみをともにすることはできません。なのに、どうしてあなたは越を去らないのですか?」

 

……范蠡の予見通り、後年句践は驕り高ぶるようになり、有能な臣下を危険視するようになる。先の文種も讒言にあい、句践から自害を命じられてしまうのである。そしてその後、越の国力は急速に衰え、次の戦国時代(紀元前403年~)には歴史の表舞台からその姿を消してしまうのであった……。

 

范蠡は敵国・呉の滅亡を予見した洞察力をもって句践の人間性を見抜いたばかりか、祖国・越の衰亡までをも見通していたのだ。

 

その後の范蠡……

范蠡は越を離れた後、一度斉(山東省)に移住し、そこで宰相の職に就いたがすぐに辞任。その後、陶という地に移り住み、土地を耕し、蓄財に励んで、またたく間に巨万の富を築いたのである。そんな彼を人々はいつしか「陶朱公」と呼ぶようになった。

 

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そしてそんな彼の傍らには、呉越戦争の際その身を犠牲にして呉滅亡の一助を担った、かの西施(せいし)の姿があったという……。

 

キジョジ曰く……

 優れた洞察力で己を取り巻く状況を把握し、常に最善の選択をして天寿を全うした范蠡。そんな彼の生涯は、同時代の伍子胥の「炎」の如き生涯に比して、「水」の如き生涯であった……。

 

同時代、それも互いに相争った敵国同士にこのように対照的な生き方をしたものがあったのは、実に興味深い……。

 

(伍子胥の生涯についてはこちら↓)

 

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