歴史と娯楽と日常の狭間で

自分がこれまでに蓄えた歴史の知識、楽しかった娯楽、日常の気づき等を淡々と綴るブログです♪

平和主義という名の暴力【派遣で出会った人々】

「平和」……良い言葉である。実に心が安らぐ。

争いや諍いのない、穏やかで安穏とし、その場にいる全ての人間が心穏やかに居られる場……。

 

多くの人(全ての人とはいわない)が、強く求めて止まない理想の場である事と思う。

 

しかし、その理想、誰かの何かを傷つけてでも求める価値のある場所なのか?……。 

 

 

心穏やかな男……そしてある一幕……

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 以前勤めていた職場に、こんな人物がいた。

彼はいつも穏やかで、他人からの頼み事にも決して「NO」とは言わず、感情を昂らせる事も滅多となく、少々小太りな体型とも相まって実に「平和」な雰囲気を湛えた男である。職場内屈指の穏健派として、周囲の評価も上々であった。

 

僕も彼には随分和ませてもらったものである。とてもギスギスとした雰囲気の職場にあって、彼と話している時間はまるでオアシスのようであった。

 

しかし、そんな彼に対する僕の評価が一変する出来事が起こった。

 

ある作業に従事していたときの事である。ある二人の従業員の間で、ふとした事で口論が起こった。詳しい内容は失念したが、一人がもう一人の尊厳を著しく踏みにじるかのような発言をし、それに対して言われた側(仮にAさんとする)が激怒したのだ。

 

言った側の人間は、以前このブログで取り上げたヤンキーグループの一員である。(詳しくは↓の記事にて…)

 

www.chijoji.com

 

↑の記事にも書いたようにヤンキーという人種は、己を強く見せるために必要以上に他人を貶めて弱者に仕立てようとするものだ。そのためならば、どの様な暴言でも平然と言い放つ。その時もAさんのほんの些細なミスの指摘したのを皮切りに、Aさんに対する人格攻撃にも等しい暴言を行ったのだ。

 

当然ながらAさんは激怒した。しかし、ここで件の「平和な彼」がAさんを諭すかのようにこう言った……。

 

「別に何を言われたって聞き流していればいいじゃないか。急に怒り出したら皆が気分を悪くするだろう? 俺は穏やかに過ごしていたいんだ。 頼むから空気を乱さないでくれ」

 

大勢の従業員の前でここまで言われては、Aさんは黙るしかなかった。

だが、不満と憤りで蒼白となったAさんの顔を、僕は今でもはっきり覚えている……。

 

心穏やかな平和主義者が振るった、たった一つの暴力……

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それ以来、Aさんは職場内において「些細な事で激する人」という評価を得てしまい、周囲は皆、彼を軽んじるようになった。当然ヤンキー連中はそんなAさんに対し、以前にも増した暴言を行うようになるわけだが、これ以上評価を下げたくないAさんは、ただ黙って耐えるしかなかった。

 

Aさんの尊厳は著しく損なわれてしまったのだ……。

 

たしかにAさんに非が全くないわけではない。場所柄もわきまえず激した言行に及んでは周囲の迷惑になるという「平和な彼」の言い分はもっともだ。しかし、Aさんは暴言によって尊厳を著しく傷つけられていたのだ。Aさんにとってあの時の怒りは、自分の尊厳を守るために必要な怒りだったのだ。

 

だが「平和な彼」は、Aさんの“尊厳”よりも“周囲の場の平和”を取った結果、Aさんに忍耐を強いてその尊厳を傷つけてしまったのだ……。

 

 

たしかに「平和」は素晴らしい。しかし、そのために個人の尊厳を傷つけてもいいのだろうか? それは真の意味での「平和」と言えるのだろうか? 

 

それは、平和主義という名の暴力なのではないだろうか……?

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。